考える力

自分の頭で考え、自分の言葉で話すということは容易なようで、かなり難しい。
なぜなら、現代社会では、とにかく情報量が多い。
インターネットの普及後はそれに拍車がかかっています。
このような状況では、相当に注意していないと、自分にとって都合のいい情報のみを無意識に選択し、さらにはそれをあたかも自分の意見であるかのように扱ってしまう危険性があります。

これは単に他人の意見に流されるということではなく、自分の頭で考えることができなくなっているということに他なりません。さらに怖いのは当人にその自覚がないまま、この状態に陥ってしまうことです。

最近では、学校教育の現場でも「情報」という科目があり、大学入試共通テストでも必須科目になることが決まっています。
その中で「情報リテラシー」つまり、情報を読み取る能力の必要性を学ぶことになっていますが、数学の公式を全員に教えたからといって全員が修得できないのと同じで、全員に情報を読み取る能力がつくというわけではないでしょう。

数学の公式を例に挙げましたが、公式を「覚える」ことと「使える、利用できる」ことは根本的に違う。
また、英単語を覚えるにしても、初めはひとつの単語についてひとつの意味を覚えればいいが、それでは少しハイレベルな英文や大学受験では途端に通用しなくなります。
単語の語源、そこから派生する意味を覚えて初めて、その単語を「使える」ことになるわけです。

この力をつけるのに才能は必要ありません。
何よりも必要なのは、「使いこなせるようになりたい」という強い気持ち、意識であり、それが反復練習を可能にします。そうすると必ず、「腑に落ちる」ときが来る。
「腑に落ちる」とは正に当を得た言葉で、頭で理解するというよりも、自分の体に入ってくるイメージです。

自分の頭で考えること、情報を読み取るのも同様に、年齢に関係なく、訓練次第で誰でも身につけることができるに違いありません。

冒頭でも述べましたが、「考える」という行為は、人間だけが持つ特権です。

自分とはどのような存在なのか。


自分がいま置かれた状況にはどのような原因があるのか。


また、状況が良ければそれを継続する、悪ければ改善するためには、何が必要なのか。


他者との関りにおいて、自分はどうあるべきなのか。何をするべきなのか。

このように、「常に考える、自分で考える」という訓練をする、言い換えれば、「クセ」にすることで、情報の真贋を見極める力がつくだけではなく、答えのない問題について考える楽しさも味わうことができるようになるはずです。

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