自立と自律

親が、というより人間が自分の人生を充実させるためには何が必要なのか。
子どものお手本になるためではなく、自分が幸せに生きていくために必要なことは何なのでしょうか。

私は、「自立と自律」の二つの柱が大きなポイント、指針になると思います。
自立していること。
自律できていること。

私がここで言う「自立」は、単に経済的な援助を、親を含めた他者から得ていないというだけではなく、精神的・思考的な自立を指します。
言い換えれば、自分の頭で考え、自分の言葉で話すということです。
これは容易なようで、かなり難しい。

難しいとはいえ、自分の頭で考え、自分の言葉で話す力をつけるのに特別な才能は必要ありません。
何よりも必要なのは、「そうなりたい」という強い気持ち、意識であり、それが反復練習を可能にします。
そうすると必ず、「腑に落ちる」ときが来る。
「腑に落ちる」とは正に当を得た言葉で、頭で理解するというよりも、自分の体に入ってくるイメージです。

年齢に関係なく、訓練次第で誰でも身につけることができるに違いありません。

「自立」と聞くと、親からの自立、つまり経済的な自立と思いがちですが、常に自分の頭で考え、判断するという精神的・思考的な自立なくして、ひとりの独立した人間とは言えはしまい。

一方の「自律」についてですが、これは単純にそのまま「自分を律する」ことです。

「自立」が能動的というか、専ら自分の意志で進めるものであるのに対して、「自律」は何か外部からの動きや、自分の中にいる「もうひとりの自分」の動き、誘惑が絡んできます。
「自分で自分を監督する」とは、「誘惑と戦う」「誘惑に勝つ」という行為です。
もっと食べたい。もっと飲みたい。もっと眠りたい。もっと遊びたい。
考えてみると、私たちの日々の生活は、諸々の誘惑と隣り合わせであり、無意識のうちにそれらの誘惑と戦って、勝ったり負けたり、また時には意識的に戦いを避けたりしているわけです。

言うまでもなく、「自律」はこれらの誘惑に勝つことを意味します。
断っておきたいのは、「自律」は何も自己鍛錬を目的にしているわけではないということです。
さらに言えば、「自分を律する」こと自体は目的ではなく、様々なことについて常に自分の頭で論理的に考え、最も適切な行動を選択する(自立)ことを実践していくと、結果的に自然な形で「自律」に繋がる。

つまり、「自立なくして自律はできない」。
逆に言えば「自立できれば自律は自然にできる」と言っていいのではないでしょうか。

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